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超人ロック50周年 聖悠紀先生インタビュー


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『超人ロック』の第1話「ニンバスと負の世界」が発表されたのが1967年。今年2017年で50年の節目を迎えます。記念の年を迎えたお気持ちをまずお聞かせください。

聖先生:締め切りの一つ一つを片付けていったら、いつの間にか50年経っていたという感じです。だから特別な思いとかはありませんね。毎回締め切りに間に合うように仕上げようと思って描いていました。今は出来るだけ時間を掛けていいものをという気持ちです。まあ言い訳みたいになりますけど…(笑)。50年も描き続けた秘訣と聞かれますが、特にないです。一番大切なのはモチベーションだと思いますね。それがあるうちはまだ描けるかなと思います。

『超人ロック』を描き始まるきっかけというか、ヒントになったものがあったのですか!?

聖先生:ヒントというものは特にないんです。きっかけは「ニンバスと負の世界」の扉絵なんですよね。ロックのキャラクターを見ていて、彼が活躍する話ってどんなんだろうなあと、色々考えて作ったんですね。ヒーローだから強くなきゃいけないだろうとかね。そこで不死身だったらどうか、いっそのこと不老長寿にしてみたらと、色々考えて全部入れちゃえと…(笑)。

『超人ロック』の魅力は、何といってもロックを中心にしたキャラクター群像ですね。

聖先生:ロックも登場人物の一人という感じですかねえ。敵役がロックよりも目立つことはよくあります(笑)。ロックと他のキャラクターはそんなに差がないというか、どれも気に入っています。だから、特に気に入ったキャラというのはないですね。

当時は、SFマンガ、ことに超能力テーマなどは受け入れてもらえない状況がありましたが…。

聖先生:それは意識していないですね。同人の「作画グループ」に出すために描いたわけで、商業誌に発表する作品としては描いていないので…。まあ商業誌として成功する、しないなんてことは、全然考えていなかったです。ただ結構マニアックな話だなあと思いながら描いていましたので、作画グループの中でもそんなに受け入れられるとは思わなかったんですよ(笑)。

じわじわと、皆の評判になってきましたね。

聖先生:そうなんですよ。少しずつ話題になった。それにはビックリしましたね。「聖悠紀を弾圧して超人ロックを守ろう会」なんてのが出来て、弾圧されました(笑)。後にマンガ家になった石戸※さんですね。

※石戸節子あるいは、石と節子として作品を発表。徳間書店「リュウ」に真乃呼のペンネームで『緑の世紀』を連載した。

SF小説がお好きだとうかがっていますが、超能力テーマのものが主だったのですか!?

聖先生:そうですね、ハヤカワと創元と両方を読んでいました。超能力ものが好きでしたが、それ以外のテーマも読んでいました。メカものとかも割と好きでしたね。ただ何が超能力ものかというとボーダーラインが引きづらいです。

「作画グループ」のばばよしあき会長(故人)にうかがったのですが、倍々ゲームで投稿されて長編の「ニンバスと負の世界」が送られてきたそうです。毎日机に向かってマンガを描かれていたのですか!?

聖先生:「作画」に初めて投稿した『心臓』が10ページの短編。次の『輝ける未来のために』が32ページ、『星』が69ページぐらいでしたか。『超人ロック』の「ニンバスと負の世界」は97ページ。120ページ描こうと思ってたんですがね。受験の年だったんですが、大体毎日描いていましたね。受験勉強は全然やらずにマンガばっかし描いていました。大学へ進学したのもマンガを描く暇を作るためでした。勤めていると、とてもじゃないけどマンガは描けない。大学行って、学校行ってるふりしながら描く、というのがいいんじゃないかなと、ぼんやり考えていましたけれどね。大学が休みになると、ばば氏のいる東大阪に行って泊まり込んでマンガを描いていました。春休み、夏休み、まあ秋休みとかに行ってます。随分、迷惑をかけたなあと思っています。

作画グループが回覧誌だけでなく、オフセット会誌を出すようになって『超人ロック』の噂がさらに拡大しましたね。ばばよしあきさんの元へ萩尾望都さんが訪れて原画をご覧になっているとうかがっていますが…。

聖先生:ええ、いらしたらしいですね。でも、その時はお目にかかっていません。その大阪の帰りですかね、名古屋に寄って頂いてお目にかかっているのかなあ!? 萩尾先生とは「少女コミック」でご一緒していますがね。

そして、ついに『超人ロック』の商業誌デビューですが…。

聖先生:「ランデヴー」ですか!? まあマニア誌ですが、一応商業誌ですか。『超人ロック』を描いてくれと言われたような気がするんですけど、よく覚えていないんですよ。最初はあまり乗り気じゃなかったんです。今『超人ロック』を描いてもどうなんだろうかと思っていましたから…。まあ、一応描きますと答えて連載を始めましたが『超人ロック』は完全マニア向けの作品だったので、どういう風に描こうかなあと、色々考えましたね。

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そして、いよいよ「週刊少年キング」への登場になります。

聖先生:「ランデヴー」が休刊して、『くるくるパッX』を描いていたら、「少年キング」の編集部からオーディオマンガを描いてみないかという話があったんです。「FMレコパル」に描いていたので、どうやらオーディオファンであることを知っていての依頼と思って、それでは描きましょうと御返事しました。ところが、実はオーディオマンガじゃなくて、『超人ロック』を描いて欲しいという話になったんですね。それで描いたのが「炎の虎」です。

週刊誌は初めての体験でしたね。

聖先生:週刊誌の連載は初めてなんで、とにかく10回描いた後しばらく休んで、次にまた10回描くという形にしようということだったんですよ(笑)。週刊誌を始めたら睡眠時間がなくなりました。話を作るのに3日、絵を描くのに3日掛かるんです。空いた隙間に他誌を描くと休みがないんですよ。

少年画報社からはカラー画を集めた『to you』や完全版『超人ロック』などが出ていますね。

聖先生:「少年キング」は週刊から隔週刊化されて少し楽になりましたかね。まあ、完全版が出たのは最近のことです。「ヤングキングアワーズ」にカムバックして描き出してからのことですけど、その前に複製画集などを出しています。『to you』では、ばばよしあき氏と故郷や大学を訪ねたりしています。『超人ロック』を描いた頃の名古屋の家が残っていたのには驚きました。上がらせて頂いて取材もしました(笑)。

『超人ロック』は何度かアニメ化されています。

聖先生:アニメの場合は、まあお任せですね。ほとんど関わっていませんので…。TVアニメのキャラクター設定の仕事もしていますが『超人ロック』とは別な話なので…。キャラクターのデザインをしてくれと依頼されて、デザインをしたという感じですかね。

今までたくさんのエピソードをお描きになっていますが、お気に入りのエピソードはどれですか!?

聖先生:100近くのエピソードがありますから、全部覚えていないんですが、強いて言えば「ミレニアム」(『魔女の世紀』)かなあ。「ミレニアム」は10回では最後がきつくなるので11回か12回にしてくださいとお願いしました。だから「ミレニアム」のコミックスはちょっと厚いんです。

ヒットコミックスは38巻になりましたね。

聖先生:それだけ読者の方に受け入れられたということなんだろうと思います。だからといって、あまりそういう意識はないですね。とにかく、締め切りを一つずつ一つずつクリアしていくという、その繰り返しです。飽きてしまってはダメです。情熱がなくてはダメです。

ロックへの想いはまだまだ尽きないですね。

聖先生:想いはそんなにないんですけど(笑)。まあ、まだまだ色々な話を描きたいと思っています。描きたいものもいくつかあるんですけども、まだ具体的になっていないんですよ。過去の話になるか、遠い未来の話になるかもしれないし、やってみないと分からないというところですね。

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新エピソードに乞御期待というところですね。本日はお忙しいところありがとうございました。

インタビュアー 綿引勝美(メモリーバンク)2017年5月18日聖悠紀先生事務所取材

超人ロックの長大なるサーガへ

『超人ロック』生誕50周年記念 聖悠紀先生インタビューページ(電子書籍書店:eBookJapan版)
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